舞台役者 尾道絵菜さんインタビュー~中編~

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――普段の絵菜さんは何をしているんですか?

「普段は、本を読んだり映画を見たり舞台を見に行ったりおいしいもの食べたりひたすら寝てみたり。そんなものかなぁ。 尾道絵菜さん『読書美人』読書好き、『読書美人』の尾道さん 昔は知らないところに行くのも抵抗があって、知っている生活圏内でしか行動をしなかったんですけど、最近は舞台を見に行こうってなった時に『じゃあここの駅は周りに何があるかな』って調べて、行ったことのない土地で初めてのカフェに入ってみるとか近くにこういう施設があるから行ってみようようとか。 一つのことをきっかけにいろんなものを見ようとかいう感じで空いた時間を楽しく過ごそうとしていますね」

――何か新しいものが発見できそうですよね。 新しい感情の発見というか、そういうものもあるんでしょうか。

「私、プライベートであまり怒ったり泣いたりしないんですよね。 言いたいことも言えないし、基本的には親の決めた正解を歩んでいましたし……」

――そうなんですね!演じている方って感情表現が豊かなのかと思っていました……。 あんまり怒ったり泣いたりしないのに、いざそういう感情を表現するとなった時に戸惑ったりはしないんですか?

「多分、お芝居を始めて出てきたんですよね。ずっと中に押し込めてたものが。 初めてレッスン中に芝居で泣いた日があって、そのときに何かすごく不思議な気持ちになりました。 自分の言葉ではない台詞を発しているのに自分の内側が動いて、自分の感情であたかもこのセリフが出たかのように感じられた初めての瞬間で、その時に『私も人並みに色々な感情を持っていて、色々なことを考えていて色々なことを感じているんだ』と気付いたんですよね。 そういったものがお芝居をやることによって結構すんなりと開けたし、開けたことに対して感じたのは押し込めてきた自分の中の黒いものが出てきたという恐怖ではなくて、むしろ楽しさでした。 自分の心が動くことに……泣いたり怒ったりできるということにそう思えたのが自分ですごくびっくりして、その感覚を知ってからお芝居が楽しいなって思うようになりましたね。 感情を動かしたい、さらけ出したいっていうだけで芝居をするのは自己満足でしかないと思うんですけど、そういうものが引き出せるというのは、はじめの一歩かなと」

――なるほど。つまり日常であまり感じることがなかったことがお芝居の中に見出せるということなのでしょうか。

「きっと日常の中で、何も感じていないということはないはずなんですが、考えないように、気付かないようにする癖がついていたというか……。 それがお芝居をきっかけに気付けるようになったという感じですかね。、お芝居をやることによって興味の幅も広がったし、日常生活で人と関われるようにもなったんです。今でもまだ、ドキドキハラハラすることは怖いけど、躊躇うけど、それでもやろうと思えるところまでは来ているので」

――そういうものでやりがいを感じるというのは、自分の心や人の心を動かせるということですか?

「やりがいを感じるのは、自分がやりたくてやっていること、楽しんでいることが、少しでも誰かに影響したときですかね。 自分の心がすごく動いているなって感じる時とか、お芝居やダンスをやっている時に、ステージ上で『あ、生きてるな』って感じがする時とか、すごく楽しくて。 就活をやめてお芝居をやり始めた頃は、今までずっと我慢してたことをやれるということが嬉しくて、まず自分が楽しいことが一番だって思っていて。 それは今も変わってないですし、『自分が楽しんでやれなければ何も始まらない、嫌々やったところで何も意味がない』って思っています。 でもそういうのって、自分のためでしかないんですよ。 それでも舞台を見に来てくれた友達が、私の舞台を観て、『自分のやりたいことをやろうと思った』とか、『多少の困難であっても挑戦してみようと思うきっかけになった』って言ってくれたり、私と高校大学が一緒で、今は会社員をしている人が残業を切り上げて見に来てくれて、『自分も仕事辛いけど、でもやりたいと思ってこの会社に入ったということを思い出した』と言ってくれたりとか。 私が大学を出させてもらったにも関わらず、就活をやめてこういう無謀な道に生きているという事実に対して、『そう思ってくれる人もいるんだ』って思った時も感じました。 最近だと……すごく私を慕ってくれている、ダンスで一緒に踊ったことがある中学生の子がいて。

その子はブログにいつもコメントをくれるんですけど、例えば私が何か作品を見た時に『こういう人になりたいな』とか『こういう作品に出たいな』とか、自分の憧れとか目標とかをブログに書くと、『私の憧れは絵菜ちゃんだよ』って言ってくれるんですよね。 そうやって、自分が一生懸命やっていることとか、やっている姿とかで、周りの人にプラスの刺激を与えられたらいいなって思っています。 私自身、映画やお芝居を観て、『よし、頑張ろう』って思うことが多いんですけど、自分も同じように人にいい刺激を与えられてるということを友達の言葉で知って、まだ友達とか身近な範囲に対してですが、ファンの方々に広がり、もっと広がっていけばいいな、というのが今のやりがいであり目標ですね。 友達でも、ファンの人でも、『楽しかったよ』って言ってくれることが、『親の反対を押し切って好き勝手やってる自分が、ちょっとでも人の役に立ったんだな』って思う瞬間で、それがとても嬉しいです」

――じゃあ逆に悲しいことや辛いことってありますか?

「辛いことは……元々の性格の問題もあるんですけど、劣等感を常日頃感じてしまうことですかね。

周りの友達がみんないい企業に就職して社会の一員として世の中のために働いている姿を見て、私はいまだに親のお世話になっているし、置いていかれたような気分になるというか……。勿論それが自分の道じゃないと思ったから今の道を選んだわけなので、それに対しての後悔はないんですけど、ふとした瞬間に『このままでいいんだろうか』って思ってしまうことがあったりして。 そういう迷いだったり不安だったりが急に襲ってくる瞬間というのが結構あるんです。 一つ舞台が終わった後とか、何か一つ公演を終えた後とか……今まで究極に忙しかった時間が急にアルバイトの生活に戻ったり、次の仕事の予定が何も決まってない期間があったりとか、そういう何もないときにはすごく焦りを感じるし、自分が頑張ってるという意識が持てなくて……。 どんなに忙しくしていたとしても、“努力”って、“どこまでしたら正解”とかがないじゃないですか。 それはみんな同じだとは思いますけど、そういう時はより不安になりやすく、自分の中でマイナスに捉えやすくなっていて、自分で自分を辛い状況に追い込んじゃうことが結構あって……。そういう心の問題が中心にあって、加えて上手く時間が作れなかったり、お金が回らなかったり、という現実的な問題が重なってくると、『辛いな』って。 自分で選んだことだから誰のせいにもできないし、『辛いな』って思った時に、“何が悪い”というより『自分が悪いじゃん』というところにしか行き着けなくて、そういう負のスパイラルに陥ることが多いです。 でも、結局は『自分が選んでやってるから』って思って、気持ち的に落ちるところまで落ちたら、『落ちるのやーめた!』ってなって、また普通に頑張り始めるということの繰り返しです(笑)」

――そういうものを発散するためにする何か特別なことをしてるんですか?

「ひたすら寝るか、友達に会う、ですね。 友達に会って、全然理屈が通ってなくても、なんとなく今ぐちゃぐちゃ考えてることを言葉にしてみる、っていうのはそれだけですっきりします。

よく会う友達が今心理学の大学院に行っていて、ものすごく聞き上手なんですよね。私が前を向きやすいような返しをしてくれて、友達でありカウンセラーみたいな存在で。 そんな私にはすごくよくできた人間に見える友人も、普通に家族のこととか恋愛のこととか仕事のこととかで悩んでるという事実を知ったりすると、みんな大変だけど頑張ってるってことがわかって、また一つ頑張れる気がしますね。 あとは、本を読んだり映画見たりとか。それは普段からしていることではあるんですけど。……落ち込んだ時って、家を出るのが嫌だったり人と会いたくなかったりするじゃないですか。それに甘えたらずっと引きこもっちゃうから、『とりあえずケーキ食べに行くだけでいいから外に出よう』って行動するようにすると、そこで本を読んだりとか、帰りに映画見て帰ったりとか、そういうところから日常を取り戻していったりします」

――なるほど。

「何が一番辛いかって言われると、不安定というか……安定しないところからくる、“人生に対しての不安”が一番辛いかもしれません」

――じゃあ、目標である『役者です』って言えるようになるところまでいけたら、それも解消されるんですかね。

「そうですね。その時にはきっと別の不安が生まれているんでしょうけど(笑)」

――確かにそうかもしれませんね(笑)

「きっと終わらないのでしょうけど、今自分の中にある不安みたいなものはそこまでいったら解消されるのかな。 後は親と上手くいかないことですかね」

――そうなんですか?それがきっかけで、ですか?

「いえ、それがきっかけでというわけではないですけど、元々反対されていたものを今は許してくれたというか、否定はしないけど肯定もしないというような関係性だったので。 私がこういうことをやっていることに対して、親も兄も教師なので、『お願いだから私達の恥になるようなことはしないでね』って時々言われたりするんですけど『しないわ!そんなこと。するつもりもないし』って思います。でもそうやって言われるという事実がショックで。 仕事に関してじゃなくても、普通に家庭の問題として今まで何も言わない、自己主張しない子だったから親の認識もずれてるんですよね。 母親が20年間見てきた私は色々なことを押し殺してる私だったわけで、きっと母親だからそうやって押し殺してるのも知っていたんでしょうけど……でもやっぱり認識のずれがあって、そういうものに対していわゆる反抗期のようなものだという認識をしていたんだと思います。一般的に言われる、反抗期の“ただ親に不満をぶつける”というものは、あまり意味を見出せなかったんですよね。 元々顔を合わせる時間が少なかったから別に大したいざこざもなく、ただイライラしたり思っていたりすることさえ我慢していればそれで過ぎていってしまったので、親とぶつかったことというのがなくて。それは兄も同じなので、親自身も反抗することなく思い通りになってきた子供しか知らないんだと思います。 それが大学生になってから私も兄もわりと好き勝手なことを言い始めたから親もびっくりして衝突することがあって、それまで小さな喧嘩すらしたことがなかったので、衝突の仕方もわからなければ解決の仕方も22歳になって初めて経験する。 でももう年齢的には大人になってしまっているから、感情を飲み込んでなかったことにするという術を私も親も知っていて、せっかく本音でぶつかり合えるかもしれないきっかけを、お互いに引くことによってなかったことにしてずっとわだかまりとして残ってしまうというようなことがあります。 そういうものが日常の中で時々起こってきてしまってすごく嫌な空気になって、でも衝突したくないからまた飲み込んでの繰り返しで、そういう中でも親が舞台を見に来てくれたりとか、テレビに出るのを楽しみにしてくれてたりとかっていうのが重荷になってしまう瞬間があって、嬉しいし感謝しなきゃいけないのはわかってるけどそれを返せない自分がいるのもわかるんです。 自分の本音をわかってもらえてなくて親のこともわかれなくてという状態で、形の上では味方してくれているけど心理的な面ではお互い味方ではないというのがあって、母親のためにもなれていないし、母親が私のためにしてくれることにも逆にそういうことじゃないって思ってしまったりとかすることがまた申し訳なくて。 そんな本当に些細な日常の家族関係が上手くいかないこととかが外に出る時にもリンクしているから、そうなると仕事に関しても色々上手くいかないということはありますね」

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後編へ続く